バイが片思いと自分の中のLGBT差別を自覚した話。

前回このブログを書いてからおよそ一年が経ち、およそ一週間で無事に一周年のようだ。

周囲の人間に話して解決する話ではなく、だからといって一人で抱え込むにはあまりにも辛い。

そう思って前回このブログを開設した次第である。この広いネットの海なら誰かがきっと読んでくれているだろうと思いながら。

今回も同じ気持ちになりふとこのブログを思い出した。どうやら私は10月に物思いにふける傾向があるらしい。


さて、今回は私がおそらく人生初の片思いであり、おそらく失恋であり、そして自分の中のLGBT差別と戦っている話をしようと思う。

前回のブログで話した通り、私はバイであり周りもあまり気にしない環境で育ってきた。

しかし、自分がバイであると言う自覚とは裏腹に付き合ってきたのは全員男性である。

それは決して女性だから断ってきたと言うわけではなく単純に付き合いたいと思える人では無かったからだとはいっておく。

付き合った相手はほとんどが向こうから告白してきたパターンで、私も自分から付き合おうと努力する程でもないがまあお付き合いできたらいいなぁ…と思いつつ仲良くしていたら本当に告白されちゃったラッキー!みたいなノリで付き合ってきた。今思うと本当に最低で最悪な行為だ。

もともと仲良くなった人との距離が近い。

更に好きな人相手でもそうではない相手にも一定の好意を向けるフリをする事が得意であった。

そのために良い意味で「勘違い」してくれてたのだろう。


さて、そんな私だが先日恐らく人生初の「片思い」を自覚した。それも同性が相手である。

さらに片思いを自覚した時自体は最近であるが思い起こせば軽く1年以上は片思いをしていた事になっていた。人生初が有り余った末に自覚ができなかったのだ。

相手は大学の同級生、1年の頃に知り合い、そのまま4年の今日に至るまでずっと「友人」として仲良くさせてもらっている。

その相手も中々にめずらしい恋愛経験を持っており、なんと現在に至るまで恋愛感情を持った事がないらしい。

ただしその他の人生も(私から見れば)中々に珍しい環境で送っており、他の友人とともに恋愛感情を自覚していないだけではないかと言う見解で全員一致しているが。

もちろん、相手からも「お前の環境が珍しいんだ」とのお言葉はいただいている。


そのお相手とはもちろん「友人」として仲良くしていたのでその間も恋人は作っていた。恋愛話を相談したりもしていた。私自身も「この子とは一生付き合える友人でいたい」とそう思っていたのだ。

仲が良い友人であるのでいつもの通りに距離はどんどん近くなり、後輩や他の友人には「実質付き合ってる」などとからかわれ、私もふざけてノったり、相手もそれに合わせたりしていた。

余りにも特定されそうなので(現時点でもギリギリな気もするが)詳細を省くが、「恋人ごっこ」で周囲をからかって遊んだ事もある。


それで良かったのだ、自分も面白く思っていたし周りも、相手も面白がっていた。

私が本気にしてしまっていたと、自覚するまでは。


きっかけは仲が良い同性の友人2人である。

その友人2人は境遇も似ており、片方がバイで片方は彼氏持ち(今となっては元だが)。私と相手と同じ様に仲が良く、同じようにふざけて「恋人ごっこ」で遊んでいた。4人で出かける時はWデートなどと称していたぐらいである。

その友人2人から、本当に交際を始めたと報告された。

その話を聞いた時俄かには信じられなくて何度も本人達に確認を取り、本当だと信じられた時は心からの祝福をした。


しかし、それと同時に私は自身の片思いを自覚してしまったのだ。

なぜ彼らは「お付き合い」をし始めたのに我々はできないのか。嬉しそうにデートの計画を話す友人におめでとうの気持ち以上に羨ましいという感情が大きくなってしまったのだ。

もちろんその事はその友人カップルにもすぐに吐き出し、今は4人の中で3人の共有情報となっている。

「なぜ私たちが付き合っててお前らが付き合ってないのかわからない。」友人カップルの談である。

それは言ってしまえば相手の「恋愛感情がわからない」という事情と私の「仲が良い相手とは距離感が近く、好意的なフリが得意」という今までの人間関係の作り方が綺麗に組み合わさってしまった結果である。


片思いを自覚してから特に変わった事はなかった。今まで通り相手には仲が良い友人であるというていで接し、今まで通りの距離感でいるだけ。今後も続けていれば今まで通り「一番仲が良い」友人でいられるだろう。


それなのにそれをこなすだけの事がどうしても辛くなってしまった。


隣にいる時に近づいたり離れたりする距離感が辛い。友人だからとお泊りした時に同じベッドで寝る事が辛い。ふざけて「恋人ごっこ」をして笑うのが辛い。

今まで「仲がいい友人」であったからこそできた事が全て辛くなってしまった。


それと同時に、自分の中でも同性愛への偏見が少なからずはあると気付いてしまった。

「同性にそういう意味で好かれるのは嫌」私は全くそう思っていないが相手はそう思うかもしれない。そう考えてしまった時点で私は同性愛を否定する感情を認めてしまった。

相手は結婚がしたいと常日頃述べている。たったそれだけで私は自身が同性である事を呪いたくなってしまう。


LGBTへの差別なんて無いのが私の中では当たり前。そう思っていた私の世界はたった一回の片思いで無残に崩れてしまった。

LGBTだからといって特別扱いしないでほしい。そう思っていたが、それを必要とする人々がいる事を身をもって知った。特別扱いなどではなかったのでは無いか、今までこんな辛い思いをしてきた方々にとっては特別扱いされるぐらいでやっと「普通の」「異性愛」と同じようなスタート位置に立てるのではないか思ってしまった。


もう何が普通で当たり前なのか全くわからない。

こんなに辛いなら自覚なんてしたくなかった。


それでも相手はいつもと同じように仲良くしてくれている。自覚する前に立てた予定が山ほどあり、私はその相手と2人で旅行に行ったりなんだりを少なくともこの春まではする予定なのだ。


いっそ告白して玉砕するなり完全に距離を置くなりすればいつか諦められるのだろう。でも今はそれをする勇気もない。第一、「恋愛感情がわからない」という悩みを抱えている相手に告白するなんて相手に更に辛い思いをさせてしまうだけではないか。

私が少し耐えるだけで私はまだ相手にとって一番仲がいい相手でいられるのだ。「恋愛感情がわからない」相手の中で一番になれているのだ。

それでもいつかこの気持ちがバレて一緒にいられなくなってしまうのではとか、相手に好きな人ができてしまうのではないかとか、そんな不安が浮かぶ度にいっそ全てをぶちまけて恋愛感情がわからない相手を言いくるめてしまえば良いのではとも思ってしまう。


可能性が限りなく低いのに持ち続けてしまうこの片思いという感情を殺してしまうのも辛い、でも生かしておくのも辛い。片思いはこうも辛いものなのか。


自分でも何を言っているかわからなくなってきた。確実なのは自分が相手を好きな事、しばらくはなるべく隠すようにするという予定、そしていつかはこの片思いという関係がどんな形であれ終わるという事だけだ。


しばらくはこのままの関係を続けていきたいと思っている。幸いにも大学四年生、就活も終わり、春までの2人での予定が終わればそのあとは何も無い。春まで耐えれば最悪そのあと不自然にならない程度に無理矢理距離を置いてもいいのだ。

嫌われたくはないが、その後もう会わなければきっと時間が忘れさせてくれるだろう。


誰か同じような思いを抱えた人がもしこれを読み、1人じゃないと思ってくれたら嬉しい。


どうか当事者にこのブログが読まれませんように。そして、万が一、億が一があるなら、願わくば、この片思いが実りますように。







LGBT差別のトラブルでゼミをやめた話

タイトルをみて開いてくださった方へ、この話はよくあるLGBTへの差別が原因でゼミをやめた訳ではないのでそれを踏まえた上で読んでほしい。

大学のゼミを辞めることにした。
ジェンダー系のゼミであった。
必履修ではないので特に卒業には困らない。それも後を押した一因である。
私は所謂バイでオタクである、そのために両方を学術的に見ることができるのではないかと大学に入る前からゼミをここと決めていた。
実際に入った後は楽しめた、参考図書を元にディスカッションのテーマを決めて議論をしていくというのはなかなかに面白いものだった。
しかし、どこかで謎のストレスを感じていたのも事実である。
何が嫌なのかも分からないまま、無事に半期を終え、後期を迎えた時にその理由がはっきりしたのだ。

それは、ある一人の生徒の発表の時であった。その生徒は、BLのストーリーとセクシャルマイノリティの変遷について調べたものであった。何でも、昨今のBLは一昔前に比べて実際の同性愛者の恋愛に近い描写があるものが出現してきているらしい。
そこでゼミ一同で話された内容がどうにもひっかかった。
「昔と違って、今は受け入れられることもある」
「理解者が増えた、認知度が増えた」
「今の物の方が昔より実際にありそうでないストーリーだ」
なるほど、どれも事実だと私も思う。
では何がひっかかったのか、議論の内容では無くその話す時の考え方のベースだったのだろう。
私の教授は「ホモ」という表現に対して嫌悪的である。確かに一般的には差別用語であるために多用するのはいささか問題である。そのために「ゲイの方」「レズビアンの方」などと言った表現をする事が多い。生徒もそれに倣って同じような表現をするようになる。無論、私も同じように言っていた。
後から考えると、これが私にとってのストレス要因であったのだろう。

少し話がそれて、日常生活の話になる。

私は、日頃からあまりバイであることを隠さない。男子と一緒に好みの女の子の話をし、女子とあの男性がかっこいいだのなんだのといった話を普通にする。恋愛の話ではまず最初に「バイなんだけど」と前置きを置くこともある。
もちろん、これが受け入れられている状況というのは世間からすると少し珍しい部類なのだろう。しかし、私の周りの友人や知り合いはあまりバイであることを気にしない。(私のいわゆる好きなタイプが少し特殊で、あまり当てはまる人が周囲にいないのも理由となっているのかもしれないが)
この、周りが当たり前の様に自分がバイセクシャルであることを受け入れるという状況は、自分が自覚し始めた高校の頃からずっと変わらなかった。
この、「当たり前に受け入れる」というのは、なかなかに難しい。
例えば、異性愛者同士では、割と恋愛の話で盛り上がったり、からかったりする事があるだろう。「お前、○○ちゃんの水着見すぎじゃね??変態だ~」だの「やっぱ二次元なら男子は○○がいいよね~」みたいな事はよくあるのではないか。
同性愛者がこの輪に入ることは難しいのかもしれない。しかし幸いにも私はこういう会話によく参加する。それは、向こうもオタクであり「耐性」があるのも理由かもしれない。
ある日、同じような下世話な話を男子としていた時に「この両刀使いがよ~w」とからかわれたことがある。だが、全く気にならなかった。それは、向こうに悪意が全く無かったからというのもあるし、何より、ノリが普段と全く変わらなかったからだ。
向こうは、「この尻フェチ野郎」とか、「おっぱい大魔人」とか、その程度のノリで「バイ」であることを話してくるのだ。
私はこの関係をとても気に入っている。正直、自分の中で最高の状態ではないかと思っている。

話をゼミに戻そう。

ゼミでは私はまだバイであると言う話をしていない。あまり授業以外で話すことも無く、女性(分野は違うが全員オタク)しかいないゼミ故に恋愛について話す事は無い。単純にCOする機会が無かったのである。
前述した通り、サークルではジェンダーについて取り扱うことが多い。その為にLGBTについて議論する事も勿論ある。その時に、皆して「ゲイの方」「バイの方」「レズビアンの方」という風に呼んでいく。
それが耐えられなかった。
私は今まで自分がバイであることで差別されたことも嘲笑われたことも無かった。ただ、ただ受け入れられ、他の人とも変わらず、苦しむことも無く生きてきた。私にとってバイであるという事は、私がオタクであること、数学や理科より文系科目が得意なことといった個性となんら変わらない。隠すつもりもなく、むしろバイであることよりも平均身長であると言っているが実は1cm足りない事のほうが隠したい事実だ。
もちろん、これはLGBT当事者の中ではかなり特殊なケースなのだろう。実際に、悩んで、差別されて、苦しんでいる人もたくさんいる。
しかし、類は友を呼ぶのか、私の周りのLGBT当事者は私と同じように何故か周りに当たり前に受け入れられ、特に悩むこと無く生活している方が多かった。

とにかくだ。
そんな環境で過ごして来た私にとって、教授や他のゼミ生の「LGBT差別をしない」というスタンスはむしろ苦痛であったのだ。
それはもちろん向こうの当事者へよ気遣いであり、何ら問題がある行為ではない。むしろ好まれる物だろう。しかし、LGBT当事者であることに何ら問題も苦痛も疑問も抱いていない私にとってその「差別をしない」という行動や態度は、反って逆差別的というか、腫れ物を触るように扱われていると感じてしまうというか、その「特別扱い」が苦痛だったのだ。
今まで、何も苦痛を味わっていないのに、いたわられる状況は、まるで「差別されている・悩んでいる・苦しんでいるLGBT当事者」を押し付けられているように思えてしまった。

最初にバイだと言って、いつもの様に生活していれば、向こうもそれに気づいて当たり前であるととってもらえたのだろうか。しかし、言っていないからこそ、心の奥底にあるベースの考えが見れたのかもしれない。

他のゼミ生にこの話をするつもりは毛頭無い。やっていることは間違っていないし、何より今さら話してもだからなんだという事になる。ただただ私と、その周りがレアなケースだっただけだろう。もしかしたら私の周りに見当たらないだけで、広い現代社会、意外と多いのかもしれない。

これを書いている時点ではまだゼミをやめるとは言っていない。こうして書き終えてみて、改めて何が辛かったのかを自覚できた。なんとなくモヤモヤした気持ちが晴れて、ようやく自信を持って(?)やめることができそうだ。

普段物も書かず、割と直感で生きているため、ここまでの長さの文章を書いたのは久しぶりだ。推敲もしていないため、誤字や脱字、読みにくい箇所があっても見逃してほしい。

もしここまで読んでくださった方がいたら、こんなパターンもあるんだよと、心に留めておいていただければ幸いである。